劇団ONZに書き下ろした戯曲「夕焼けのにおい」、そのパンフレットに寄せた劇作家のコトバ。




川の行く先   
                     沼澤豊起


家の裏にあまり大きくない川が流れている。
冬は白鳥が羽を休め、夏には水鳥が魚影を追いかけている。

風が吹くと川面に波が立つ。うねる波は川の表面を静かにゆっくり流れていく。
海に向かってではなく、風の吹く先に向かって。

川の両岸の堤防の上は、海まで続く散歩道になっている。
途中にはコンクリートの車止めがはめ込まれていて、小さな子供も自転車も、飼い主を連れた犬達もみんな大手を振って歩いている。
時間があるとき、私も彼らと一緒に散歩する。でも海までは行かない、いつもその手前まで。
海にでる手前、川には大きな堰がある。そのコンクリートの支柱に絡まるように無数のゴミが溜まっている。ゴミに遮られて、川はそこで流れを止める。
風は吹いている。でも波は立たず、川はもう流れない。
流れのない川は溜まり、淀み、悪臭が漂う。
それは、もう川ではない。

流れるべきものは流れ続けなければならない。
流れるべきものの義務として。
止まることは、違うものになってしまうということだ。

この戯曲は、私が初めてINTELVISTA以外の劇団のために書いた戯曲だ。
戯曲を書く前、おばあさん役の中村さんと話をした。
もともと今回の芝居は、劇団INTELVISTAの朗読劇「リュックシャック」を動きのある芝居として書き直して、劇団ONZに上演してもらいたいと、私がお願いしたところから始まった。
どのような形にするか、いくつかのポイントを確認しようと話を進めていくうちに、中村さんが芝居を通じて表現したいことが大きく立ち現れてきた。本当に表現したいものが。
表現したいものは表現されるべきだ。もの書きはそれを書くべきだ。そして役者はそれを演じるべきだ。
そうでなければ、我々は淀み、悪臭を放つ。

川に夕焼けが映る頃、水鳥達は一斉に飛び立つ。森へ向かって。
それを見て私も家へ帰ろうと思う。私には家族がいる。
私たちはどこに行くべきなのか、今はわからない。
しかし、流れ続けるべきなのだ。コンクリートを打ち砕いてでも。